読書って意味なくね?
ってここ半年図書館に通いつめて思った。
読書によって頭に定着する知識を得ることが目的
ということを前提とする。
成功者が書いた著作や、できるビジネスマンがしたり顔で綴った手記にも読書に関する言及が必ずあって、ほぼ例外なく読書家である。
だが俺はそうは思わない。
俺にとっての読書は知識の素通り作業にほかならない。
知識が右から左へ俺のザルでできた脳みそをくぐり抜けるだけ。
その過程で感情の動きが変化する。
しかしそれもすぐに忘れる。
普通に生きてきた人はそんなことを言ってられないので、記憶⇢想起の訓練を赤と緑のアレを使ったりして一生懸命強引に頭にこびりつかせようとしている。
俺はアレを一度もやったことがない。
活字を読むことがいかにも高尚っぽいイメージがあるが、やってることはテレビを見ることと対して変わりがない。
一番頭に定着しそうだなと思ったのが、数学だ。
数の不思議の面白さを宣伝する本を図書館で読んだが、これはものすごく引き込まれた。
しかしこれも忘れている。
あとよくあるのが考えて読むとか読んでも実行しないと意味がないという言葉。
しかし考えて読んでも忘れている。
上記の数学の本も長時間かけて考えながら読んだものだ。
何しろ読めば読むほど数というのが不思議でたまらなくなって頭のなかではなんで?なんでこうなるの?の連続だからだ。頭がジンジンするほど脳みそを使って、わからない、理解できない箇所が出現すると、その度に立ち止まって逐次計算式を自分のなかで更に噛み砕いていったり前のページに戻って何度も確認したりと行ったり来たりしたにもかかわらずである。
実行も自己啓発系やビジネスマンの実用書くらいにしか使えないっぽい。
いろいろ能書きを垂れた。
しかし、歴史上の偉人に読書家が多いこと、俺よりはるかに知識をお持ちの有識者が読書を推奨していることから俺の考えは間違っているのだろう。
そういう風に考え方を逆転させることができるようになったのもまた読書のおかげだ。
だから読書は意味があるのだろう。