なんか本格的に病んできた。
もういつ死んでもいいやって思ってきた。
どうせつまんないし。
やりたいことも見つからない。
ただなにかやっていないと不安でたまらない。
本を読んで何かを得た気になっているが、逃げでしか無い。
自分一人の限界をいやっちゅう程感じている。
死んで消えればこんな思いをしなくてすむ。
ただ、能動的に死ぬつもりはサラサラ無い。
その時が訪れるまで仕方なく生きるさ。
ヤりたいことはある。
美人でスタイルのいい女性を連れている男を見る度に羨ましく思う。
(こう思う心はエロ禁の度合いに左右されるが、決して逃れることはできなさそうだ)
単体で歩いている上記のような女が今日もアルカにいた。
一瞬で惹きつけられたが向こうは眼中にもない。
結局欲求が満たされなかったことによるモヤモヤだけが残る。
それが嫌。避けたい。
だから見ないようにしているというわけだ。
見なければそういう面倒くさい感情が発生することもない。
というか美人を見てどんよりした気分になるというのも美人が原因じゃない。
そうなるのは、何もできずに欲求不満になるのも自分の情けなさからだ。
声を掛ける勇気すらない自分が情けないからモヤモヤする。
行動に移して拒否されるならまだマシ。
諦めというか自分の気持ちに一段落つけられる。
だが傷つきたくなくて行動に移せない。
こういう自分に苛ついているというのが本質だ。
これがモヤモヤの原因。
もう○月○日の美人とか記事作って掘り返すのもやめにしようかな。
意味ないし。キモいし。
帰りに歩いていて、もう街での散歩はバーチャルと思うようにしようかと思う。
どういうことかというと、街を歩いている人間は全て実際にはいないと仮定するのだ。
つまりはVR。美人を見てCGだと思う。
CGならば生身でもない。諦めもつく。
俺は街を歩いている時は決してリンクされないノード。
どうせ他人は他人に無関心だし相互に干渉なんぞしないんだから的を射ているはずだ。
そういう風に刷り込んで暗示をかけていく内に散歩中に出くわすありとあらゆるストレッサーをまとめてキレイに排除できるかもしれない。
どうせ触れることなどないのだから、バーチャルと一緒だ。
しかし、これでも無理してる。
諦めもつくと言っている時点でそこには抗いがある。
キツイ。美人を見て惹かれないようにするというのはキツイ。
もう死にたい。この気持ちが邪魔で邪魔で仕方がない。
両生類になりたい。