上と比べて比較すると人は不幸になる。
最近、ひろゆきの雑談を聞いていて自分の意見と見事に一致したことだ。
この話は個人的に楽しく生きるにはどうしたらいいか会議でしてた話。
上を見たらキリがない。上と比べる癖を持っている人は不幸。
上を知らなければ幸せ。上を知ったばかりに不幸せになる。
俺の比較は上との比較。
それは主に、街を歩いているカップルを見ては不幸な気持ちになっていた。
そして、ひきこもり時代を思い出すとそういう上な奴らを見る機会が極端に少なかったため、そこと比べるというか諦めていて、それでも他に楽しいことがあって、それをやって人生をそれなりに割と楽しめていた。
上はいくらでもいる。
俺より年収が高いやつ(俺は無職だから上に相当いる)
俺より身長高いやつ
俺より学歴高いやつ
俺よりイケメンなやつ
俺よりイケメンじゃないのにスタイルがいい女や美人連れてるやつ
金持ちに生まれた奴
可愛い顔に生まれて今めちゃくちゃ美人の女
スタイルがいい長身女
(俺の場合、異性とも敵対するフシがある)
でも、外に出ると自然とそういう奴らに目がいって、そのことについて頭の中で何かを感じる。その何かが上と比べて自分は不幸だなという感情だ。それを見ないようにするも、何かを感じずにはいられない。それがおそらく上な奴ら(街の美女、いい女連れてる奴ら)を見て俺と比較して苦痛に感じるモヤモヤだったんだろう。
その経験から導き出した俺の結論。
ひろゆきはどうなんだろう。
どこからその話をこしらえたのだろう。伝聞か、自らの経験か、論理か。
この意見には同意する。本当にそうだと思う。
近況はというと、それなりに「個人的には」充実した生活を送っている。
今の生活は貯金で暮らしているけど、無駄遣いできないため、生活保護で生きている人に親しいものを感じている。
だから、俺が生活保護になっても今の生活とおそらく何ら変わりない生活になるだろうから、生活保護でもそれなりに楽しく生きていけるような気がする。
とは言え、上を見る度に感じてしまうものはしょうがないから、すぐに忘れたり(忘れようとするんじゃなく、結果忘れてたという流れを意識している)他の「個人的なこと」に意識を移動することにより、多少精神状態はマシになっている。