クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

自分の価値観にあった生き方

 

生き方に正解はない。自分ができる範囲で幸せやら楽しいことをやればいい。

 

 できないことをできるようになるために努力する

 できないことをできないときっぱり諦め別の方向に進む

 

どちらも正解だ。

 

後者が間違いだと大勢が言ってもそれは正解じゃない。

 

 ひとつの価値観に過ぎない。

 そういう価値観を持つ人が多いというだけ。

 

家族を持ちそれに幸せを感じる人もいる。

一方、一人がいいという人もいる。

 

どちらも価値観の違いだ。

 

 一人の時間に価値を見るか、

 家族団らんに価値をみるか

 

の違い。

 

価値観を合わせようとすれば無理が生じる。

その積み重ねで人は別れたりするのかもしれない。

 

全く価値観の同じ人間はそうはいないだろう。

だから多少の無理は許容しなきゃいけない。

 

大半の人がそういうストレスを受けれた上で人間関係を保ってるんだろう。

それが普通。

 

普通・・・。俺がなりたかった普通の人。

 

なんでなりたかったのか?

 

よく考えたら、俺の性に合ってない要素ばかりに思えてくる。

 

冠婚葬祭、家族サービス、妻の愚痴、辞めることのできないブラック企業・・・

 

そして俺が最も重視するポイントが逆に浮かび上がってくる。

 

「自由」

 

つまり「可処分時間の多さ」。

 

家庭を維持するために自分の時間を売る。

よく考えたら、俺はそれに耐えられそうにない。

俺が価値を置くポイントは家族の団らんにはないから。

 

だから無理したところで離婚だろう。

そして養育費を毎月搾取される。

目に見えている。

よって結婚はないな・・・。

あ、結論でちゃった。

 

でも、この結論もまた仮のもので実体験ではない。

 

よく、子供嫌いの人が子供ができたら180度真逆の子供好きに変貌したという話も聞くので、価値観が180度変わるということも大いに考えられる。

 

でも俺は変わらない自信がある。

そういう人間だと自分が一番よくわかっているから。

 

思えば俺は隣の芝生を「普通の人」に感じていたのかもしれない。

 

だから自分の芝生の青さに目を向け始めている。

 

無理やり向けようとしてもだめだ。

それじゃ今までと何も変わらない。

とりあえず自分が楽しいと思えることをマネタイズする努力をすべきというホリエモンの言葉を胸に当分暮らそうかと思っている。

 

なんか自分で書いてて、自分が 胡散臭いセミナーやってる人に思えてきた。

まじで言ってるんだけど、いよいよやばくなってきたかな?