今日女版うえーい!みたいな連中を見て面白くない感情を抱いた。
待たされてイライラしたというのもあるが、それ以前に存在自体が面白くないように感じた。
そいつらの存在を否定したがっている自分がいる。
これはいくとこまでいくととんでもないことになる危険性を孕む感情である。
とはいえ、理性が働いているし、そこまで激しい憎悪を赤の他人に向けられるほどまだ頭がおかしくないので大丈夫だと思うが、いずれにせよ何もメリットもお互いになく、むしろデメリットだらけの必要性のない感情である。
基本的に赤の他人が幸せそうにはしゃいでいる光景を見ると面白くない。
逆に「微笑ましいな・・・」と好意的に解釈する人もいて、むしろそっちのほうが多数派という印象を他の人のブログを見ていると思ったりする。
ここでそういう人たちと嫉妬心しか抱けない自分とを上との比較と同じようにして比べてもはやり自己嫌悪とかそっち系に収束していくので、深くは考えないようにしよう。
俺は人間関係は皆無で一人で意外といけちゃう人間(2年間誰ともかかわらず一人暮らし、喋り相手なし)で閉じた世界で生きている。
だから気にする他人というものがいない。
こういう生活をしていると、他人から受け取る感謝や、他人から寄せられる好意というものとは無縁となってくる。
多分こういうもの(好意や感謝を感じる他人)がないと、赤の他人の幸せを好意的に捉えることができないのだと思う。
逆に言えばそういう存在が身近にいる人は、赤の他人の幸せに対してもある程度好意的に捉えることができると予想する。そしてそれは、少なくとも面白くないな・・・と否定的に捉えることよりも損でない。ネガティブに物事を捉えることは基本的に損であると思う。発展的でなく退廃的。
というわけで世の中に存在するありとあらゆる事象の大半をネガティブに捉えがちな俺は他の人よりだいぶ損をしているんだろう。
損というか、損失か。
今までどれだけの機会損失をしたんだろう。
好機も逃してきた。
多分誰しも生きていれば1回か2回はチャンスが巡ってくるだろう。
俺はすべてをふいにした。いろいろあるが、一般的なもので言うと就職か。
俺が大学を卒業する時はものすごい売り手市場だった。
俺は就職活動しなかった。
しかし精神病みたいなもんだったんでどちらにしても無理だっただろう。
鬱で就職活動をしている人はスゴいと思う。
きっと周りの力添えなりがあったんだろうけれど、俺は究極的に閉鎖路線に進んだため完全なるぼっちだった。
基本ネガティブな人間は結局そんな役回りになる。
私が証明よ
化粧品会社の女社長じゃないけど俺は地で証明している。
そしてそれは自業自得。
運命を切り拓くには勇気と行動なんだと思う。
月並みだけど。