俺は一度嫌いになった人を好きになることはないと思う。
これまでもそうだった。
「嫌悪の種」を植え付けられたら、もうどうしようもなく嫌いになる。
挽回のチャンスなし。
やり直しのチャンスがない日本といっしょ。
だからだれも友達になりたくないだろう。
こんなすぐ人嫌いになる人。
人間誰しも欠点はある。嫌いになる面は誰もが持っているだろう。
聖人君主なんていやしないし、いたらいたで逆にキモいかもしれない。
だから、皆嫌いになる要素がある。誰しも。
器が小さい、小心者、小物、雑魚
こんな言葉の申し子である俺はそれ(嫌いという感情)すら包み込む寛容さや包容力や許す心を持ち合わせていない。
しかし、これは人間としてあぶねーとかやばいとか犯罪者予備軍とか言うんじゃなくて、嫌い嫌いと人に対して思うこと事態損だ。マッハストレスだろうし。好意的に見れる人の数が多ければ多いほど得。
それに人間と関わる上で避けては通れないと思う。
嫌いな人との付き合いというのは。
皆自分好みのウマがあう人達の職場なんてないだろう。友達ならそういう者同士の集まりなんだろう(きっと)から・・・と思ったけど親友でもない限り友達度合いによりストレスとか溜まるんだろうか?友達にもいろいろいるらしいからな。
嫌いな人を好きになる方法で調べたら回避したり多少我慢したりと面倒くさそうな解決法が羅列されていた。
逆に好きな人を嫌いになる方法とかいうのも出てきた。これは振られた女性用のコンテンツらしい。
やっぱ他人と関わると何かと忙しそうだな。みんなよくやってるわ。
先日藍上さんがどうしようもなくうざくなって嫌いになったけど、また見始めた。
嫌いになったけど我慢して見ることにした。再び彼女を好意的な目で見られる日がくるのかどうかちょっと試してみたくなった。
メンヘラ女だけどかわいいというのが大きい。
嫌いになったブスを見続ける自信はない。
かわいいという事実の偉大さ。
やっぱりかわいいは正義。