孤独はタバコ15本分の害とかいう記事を見ることがある。
そんな記事の中の一つに孤独について孤独とひとりでいるに分けている記事があった。
こんな分け方もあるのかと思った。
というのも俺はその2つをごっちゃにしていた節があったからだ。
まぁでも孤独についてどう捉えるかという観点だと結局本人の気の持ちようということに落ち着くことには変わりなし。
現にその記事には孤独を孤独と感じない場合やみんなといても感じる孤独についてにも触れられていた。
そして俺の場合だが3年前から街を旅して2年ほどカップルを見る度にマイナスの感情を抱いた時期があった。
今思うとこれは孤独を感じてダメージを負うということに似ている気がする。
30代前半ということとプログラマーとしての第二の人生を考えて恋愛や仕事についての焦りがあった時期でもある。最後のチャンスという具合に。
そんな俺も30代後半に足を突っ込み、無職であることの抵抗も皆無になりつつある今日このごろ、俺はすべてを諦めた。恋愛も仕事も。
無職バンザイ、毎日散歩と映画楽しいぃぃぃという生活を満喫している。
これは強がりでもなんでもなく、諦めて開き直ったからこそ毎日が楽しい。
諦めたんで義務的なもんはいっさいなし、恋愛のためにオサレしなきゃとかやりたくもないプログラミングの勉強をすることもない。
もともと人と関わるとろくなことがないと思っているので寂しいとかはない。煩わしさを未然に防いでいるとすら思っている。
恋愛に関しても俺は童貞なんで女の柔肌を知らない。知らないがゆえに執着がない。関係ないがタバコも酒の味も知らない。「世の中知らないことがいいこともある」よく考えたら俺の座右の銘かもしれない。
生身の女体の感触を知らないが故に性欲の解消はオナニーで満足できる。もし知ってしまったら一生女を求めては手に入らずきっと苦しむに違いない。女体に動かされ狂わされる人生になる。金もかかる。
まぁ性欲自体加齢により減退してきているのは人間のうまいシステムだと思う(中には79歳で10代女性を強姦する爺とかもいるが)。
さらにそこにコロナという災厄がとどめを刺した。完全に諦めさせてくれた。
ありがとうコロナ、とは言わない。こんなもんやっぱないほうがいい。もう時既に遅しだが。