・散歩
夜に買い物。
精神状態が低下してくるとなんのために生きてるんだろうっていうのが出てくる。
こんなこと考えるだけ生存においてマイナスなのは頭ではわかってるが思わずにはいられなくなる。
ぽかんとした空虚な精神状態の時にこうなる。
常になにかでそれを埋めてないとまともな精神を保てない人間という生き物は疲れるなぁと思う。
それがエスカレートした果てが自○。
だから考えるだけマイナスでしかない。
俺は希薄な方だが大切な人がお亡くなりになるっていうのは辛いよな。
歳を重ねるたびにその機会は確実に増えていく。
何いってんだと思われるだろうけど、先に自分が逝ったほうが楽な気がする。
見なくて済むから。
ずるいけど。
でも実際若くしてご病気で闘病されてる方とか志半ばという感じでもっと生きたいと強く思うんのが普通なんだろう。
こんなことを書いてるうちに散歩中に書こうとして忘れたネタを思い出した。
ネタという程でもないが可能性についての話。
子供の頃は可能性に満ち溢れている。
でも大人になってからはなくなる。
俺にとってはなくなった時からなんだか楽しくなった。
子供の頃にやらされた習い事とか人並み以上にあったけど全部嫌だった。
もともと人嫌いのようで他人と混じってなにかするというのが嫌だった。
親側からすると俺の可能性を広げるとかそういう目的で習い事に通わせてたんだろう。
ちゃんとした親だと思う。
でも俺にとっては残念ながらありがた迷惑だった。
誰かと交わらざるを得ないから。
そもそも自主性がなかったんで苦痛でしかなかった。
大学まで出してもらって就職活動すらせずニートに。
家の中でヤフオクで稼ぐ過程で家を倉庫代わりにしたりほんとクソなやつだと自分でも思う。
俺にはもう少しクソな親がお似合い。
というわけで俺の親は俺にとってできすぎた親なのかもしれない。
親はそんなにプレッシャーをかけてこず、期待に応えなければ・・・みたいなことにはならなかった。
むしろ家の中でゲームしてそんな気持ちは皆無だった。
でも気づけばおっさんに。
いつの間にか一人暮らしとなりそういう後ろ盾的なものはなくなった。
可能性がない状態。
そして俺は昔挫折した習い事を自主的に始めた。
それが他人と交わらずに済むもんだったから。
それが趣味になった。
ということで最近書いてなかったけど楽器練習はまだ続いてる。
現在2ヶ月半くらい毎日少なくとも5時間くらいはやってると思う。
全然上達してる感はないけど。
以上
1年前