幼いころの記憶を喚起するというのはなぜいい気持ちなのか。
それは幸せに育ったからかもしれない。
嫌なこともあったけど、よかったこともあるということだろう。
愛を感じているのかもしれない。
その裏返しとして今が不幸せということかもしれない。
今はそれほど幸せと感じていないことが、未来になって今の時点を振り返ると、幸せだったなぁと感じるのはなぜなんだろうか。
明らかに美化されている。
それとも、だんだん歳を取るに連れて不幸になっていくのだろうか。
幸福レベルが昔と比べて相対的に低くなっていくから、相対的に昔の幸せの方が大きく感じる。
それとも現時点は潜在的に処理すべき、難題と共に生活しているから、過去にはその枷をないものとしてカウントできるから、過去が良く見えるのだろうか。
未来も基本的には楽観的に見るふしがある。
潰れる前提で起業する人は余りいないんじゃないか。
未来には何が起こるかわからない。未知数。
問題が具体的に形となって見えないから、いい未来を想像しがちだ。
そう考えると現時点での現実が一番厳しい。
いつだって。
だから今を楽しむということは大事なんじゃないか。
過去、現在、未来の中で一番厳しい現在の世界を楽しまないと厳しさに飲み込まれて落ちてしまう。
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一ヶ月前の下書き。
ちょっと何言ってるのかわからない。
病んでいたのだろうか。
要するに、俺が懐古厨であるということだろう。
しかし、過去に思いを馳せまくっても停滞してるだけで自慰行為と何ら変わらない。
ただし、過去から学ぶことは必要だと思う。
さもないと、今までのほとんど無駄とも言うべき自堕落人生がもったいない。
何かに利用しないとゴミ過去はゴミで終わる。
こう失敗しかもはやないという人生を送っていると、学ぶことだらけだ。
失敗は成功の母とかよく言うけれど、それが正しいならば、この失敗だらけの人生は成功するために必要なお宝の山となることになる。
このスクラップの山からやるべきことは薄々わかっているが、行動が伴わない。
それが失敗だから、行動を伴うようにすれば、それは小さな成功、小さな勝利だ。
まぁ、何かしなきゃならないことがあったら、適度に悩んだ後は行動するこったな。
今回の入院みたいに。