やっぱり人間には2つの世界が必要なのかもしれない。
自分だけの世界と、他人の中の自分の世界。
俺は前者しか今現在持っておらず、少し前までは少なからずも後者があった。
家族の存在だ。
煩わしいことも多々あったけど、ヤフオクBANで食い扶持が塞がれ、精神的に追い詰められると正直すがりたくなる面もある。
Youtubeで西村博之の発言の数々を最近聞いているが、この人は家で引きこもってゲームをやっているのが好きらしい。
でもそれはこの人の人脈とか友達とか そういう外との繋がりがあるから、比較して内が好き、そしてそれは外があるから知れたことなんじゃなかろうか。
金も潤沢にある。
こういう特殊な人間はさておいて、
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上記1ヶ月前の下書き。
それにしても、今まで抱えていた爆弾が取り去られると少しは前向きな気分になってくる。
勇気を出して、病院に行ってよかったと思える。
入院して、他人が自分の生活に干渉してくる生活を久しぶりにした。
そういえば、今年は2回も入院したんだなぁ。
前回の入院は今年の2月で、1週間入院していた。
その時は特に深く考えることはなく、タブレットで漫画とか読んでいたけれど、ブログを書いている過程で、自分という膿を出していく作業を経た後での入院とでは心境が随分違うもんなんだなぁと思った。
以前は早く退院してぇよぉ・・・、認知症のじじいがなんで一般病棟にいるんだ!チェックしてないのかよ・・・あと別の爺さんよ、トレイのときは鍵を締めてくれ・・・いきなりトイレ入って横向きで老人が踏ん張っている姿を見せつけられるこっちの身にもなってくれ・・・。
なんて愚痴を吐く一方で、その人達に関心はまるでなかったが、ブログを書いている過程でネタ出しのために自分の細かい部分を切り出していった結果、他人に(人一倍かどうかはわからないが)関心があるという自分の一面を発見した。
他人に関心がなければ、路上喫煙者やカップルやファミリー、宝塚劇場前の人たち、渋谷ドキュンなどの愚痴は生まれなかった。
ある意味、入院している人たちに心の片隅で同情心を感じていた。
以前こんなことはなく、ただ自分ことだけ考えていた。
昔はコミュニティー内の自分を感じてる時、他人にどう思われているかが異常に気になって、結果何も出せなくなり、無口キャラになってしまったが、この度の入院では比較的思ったことを口に出来ていた。
無職だということは薄々感づかれているだろうし、失うプライドなど何もない。
完全に開き直っていた。
歳を取ったことも関係しているだろう。
他人との関わりが、昔と比べて随分楽になった。
昔出せなかった自分の素の部分が、出せるようになったからだろうか。
長らく抱えていた問題が解消されたこともあり、最近は妙にふわふわしている。
キズは時々痛み、体的にはキツイけれど、心はここ数年では最も落ち着いている。
下書き文末の「こういう特殊な人間はさておいて、」の続き、なんと書こうとしていたのだろうか。
おそらく思いつかなくて下書きになったと思われるが、今は凡人は普通に働いて、普通に友達と遊んだりする生活を送るんだろうとかそういう感じのことを書くだろうなぁ。
そして俺は普通に働くことも、一緒に遊ぶ友達もいない。
でも金がなくなったら働かないと生きていけないし、そんなことも言っていられないだろう。