1年中アホみたいに散歩していて、こないだ行った旅行先でも散歩をする。
例えば旅行に行って観光名所に行くとする。
普通の人は観光名所に行くと普通に観光名所を訪れる。
ごくごく当たり前の行動だと思う。
しかし俺は観光名所を通過する。
散歩の副産物的扱いをしている、敷地にも入らずに。
その地域地域の空気を吸いながら散歩しているだけで俺はもう幸せ。
そうなんだよ。俺は気づいてしまった。
散歩することが幸せなんだと。
1年振り返ってみてそれはもう幸せだった。
いやマジで。
不幸せだったら12時間もアホみたいに散歩はしない。(今はそんなにしないけど)
散歩はキツイ。6時間位歩くから。
思うにキツさにハマる要因があるんじゃないかと思う。
実際にやったことは分からないがマラソンランナーとかがそんな感じなんじゃないだろか。
以前は彼らを見る度になんで走るんだろう?そんなに意図的に自分を痛めつけたり疲れさせて体力や筋肉鍛えたところでどうせ最後には死ぬのに。とまでは思わなかったけど、自分の価値観とは大きく乖離しているなぁとは思っていた。
今になって勝手な推測になるけど、それは気持ちいいからだと気づいた。
それに体力、筋肉、持久力を鍛えて特にデメリットもない。
むしろ人間肉体を操作して生きているため意図的に鍛えることは理にかなっている。
普通の現役世代は割りと短時間のランニングを可処分時間を加味して合理的に選択するが、無職の俺は散歩を選ぶ。ウォーキングと言わないのはそんな大層なものじゃないちんたら歩きだからだ。
キツイけど家に帰って1日が終わる時に達成感がある。
そしてその達成感は気持ちいい。酒は飲まないが自分をいじめ抜いたあとに飲むビールは格別なんじゃないだろうか。
家でごろごろした後に飲むビールより、運動で自分を絞ってから飲むビールの方が何倍もうまい(と思う)。
下げてから上げて振り幅を大きくするじゃないけど、これはまさしくクレイジー充実(例:サウナ⇢水風呂)だろう。
いずれにしても俺は散歩中毒なのかもしれない。他にやることがないだけだけど。