・散歩
午後5時くらいから散歩。
小松川橋から江戸川区、コジマビックでトイレ休憩して葛西方面へずっと歩き西葛西のオーケーで買い物、東陽町のイキイキ生鮮市場で買い物して帰宅。
散歩中はじっくり噛みしめるように歩いてみた。無理すると足に負担がかかるからだ。丁寧な呼吸を意識して無理なく歩いた。
そういうやってリラックスした状態で歩いていると周りの人間がいかにせかせか生きているかがわかる。
それと知らずに生き急いでるように見える。
そんなスケジュールパンパンな添乗員付きの名所巡りツアーのような人生を捨てられたのは自分の本質を見極めたからであろう。
確かに未練はないとは言い切れない。そこを押し殺すことを含めて俺なのだ。変われない自分を認めその範囲内で楽しいことを見つけようとして見つかったものの一つが散歩だ。
添乗員ツアーの比喩は富樫がレベルEか何かの作者コメントにそんな話を記していて、旅行先で義務的に名所を見るような旅行より、道端のベンチに佇んでその土地の人々の歩いている姿とかを見てるだけでいいとかそんなことを言っていたのを思い出したので例に出した。
確かに自分の今の人生とか生活を客観的に見ると、単独行動に思いっきり傾いていてバランスが悪いということは自覚している。
なのでまかり間違って何ら化の出会いがあったらなるべく逃げずにしようとは漠然と思っている。実行に移すかは直面しないとなんとも言えんが。
ここは相手に寄るけど、俺は多分長年の隠遁生活と散歩中の無意識下の人間観察により人の本質を嗅ぎ分けるセンサーはビンビンになっているはずなので地雷は避けられると信じたい。
以上
1年前