またこんな時間(4時前)に目が覚めた。
引きこもりから脱してもう1年。
外の世界を見て俺の知らない世界があることを知った。
そして同時に後悔の念を感じている。
過ぎ去った過去の自分に対してもっと、あーすればよかった、こーすればよかったとか。
その筆頭が若い頃に人付き合いに対してもっと努力すべきだったということ。
俺なんかどうせ、みたいな考えを持っていると他人との関係を疎かにしてしまう。
どうせ一人だし・・・てな感じで見た目も気にしなくなる。
俺の場合極端な性格なんで周りから誰もいなくなった・・・。
そして引きこもりへ・・・。
まさに悪循環。
前に書いた上記記事では確かブサメンなのに高級な服着て意味あるのか?的な感じなことを書いたけど、
意味あるよ。
俺なんかどうせ思考との関連でめちゃめちゃ意味あるよってことに気付いた。
今ならわかる。30超えて外出てやっとわかった。めっちゃ遅いけど。
最近電車に乗った時に、後ろ姿は髪型から格好までどう考えてもオサレなイケメンな人が居た。
しかし顔があらわになるとめっちゃブサイクだった。
身長の割に顔が長めで肌も汚く岡崎慎司を煎餅にして焼いたような顔をしていた。
ただ、格好はイケメンだった。
服装偏差値70、顔面偏差値35くらいだった。
失礼というのは置いていて、その時俺はその人を尊敬した。
俺に足りなかったのはこういうことなんじゃないかと思った。
どういうことかというと、顔がブサイクな分、服装で補うという発想。
俺は昔から色々顔のことで言われてきてある種の醜形恐怖に陥っていたと言えるかもしれない。
俺の場合は、どうせ変な顔をしてるんだからおしゃれなんてしても意味が無い。
ずっとそう考えてきた。
でもこれは間違いだ。
もちろん、元来おしゃれに頓着がなくて趣味や仕事に邁進して同じような服装に興味が無い連中と付き合う(そうとは限らないけど類は友を呼ぶで自然とそうなると想像)、そんな生き方もあるだろう。
一人で没頭できることにひたすら打ち込むというのもありだ。
俺なんかどうせ、と見た目を気にせず、ひたすら己を高めとんでもないところまで登っていった人もいるかもしれない。ある意味俺の理想の生き方だ。
でもそういう努力も長続きしないもんだから、結果できあがったのが、無職のクズというわけだ。
服装云々は方向性の一つに過ぎない。別の方向性で幸せに生きれるならばそれはよし。
でも俺は渋谷と原宿に行くようになってから考え方が変わった。
俺が通いつめていた秋葉(10年前の)とは違ってリア充な若者であふれている。
みんなオサレで髪型も服装も決めてて見た目もいい。
純粋にかっこいいなぁと思う。
ただ、俺はこんな世界があることを知らなかった。行ったことがなかったから。
いずれにしても、俺なんかどうせを理由にして生きたくもない不幸せな生き方をしなければいけないのはやっぱ間違いだと思う。
そして、そこにはやっぱ努力が必要で、その努力がないと俺のようになる。
ごくごく当たり前のこと。でもそれができないのが俺なんだなぁ。
要するに天国に一番近い男(MONOカンパニー編)の甘粕四郎みたいに「どうせ、俺なんて」を言い訳にして欲求を抑えこんだ生活を長年送っていたらいつの間にかおっさんになっていて、その結果、夜中に目が覚めて眠れなくなるほどのものすごい後悔の念が押し寄せてきているということだ。
長年くすぶり続けている欲求にフタをして生きていると、後になって睡眠を脅かされるんだなぁ。
俺と同じような俺なんかどうせ思考プロセスで欲求を抑えこんで引きこもりになっている若い人にはオサレになって是非とも垢抜けていってほしいと思う。
もっと早く気づきたかった。贅沢を言うなら思春期くらいに。