引きこもり明け⇢外で
女性に学んだこと。
それは美に対する意識である。
鼻毛は鼻の穴から飛び出してるわ、まゆ毛はプチ両津勘吉になっているわ、小汚い無精髭ヅラでもなんとも思わなかった。
なんせ外に出るのは夜くらいだったしね。マスクしてりゃ小汚い下半分は隠れるわ、くらいの面持ちで10年を送っていた。
この度外に出て、浮く浮かないで身だしなみについて思うことがある一方で、見られているという観点は俺の中ではなかった思考で動いている人間がいるということがわかった。言わずもがな、着飾っている女性や、原宿にいそうな格好の若者のことだ。
とくに女性。
よくよく考えてみればおしゃれっていうのはその見られてるだの見せたいだのかっこいいだろ!とかかわいいでしょ!とかキレイでしょ!見たいな自己顕示欲からだ。
美意識と言い換えられるかもしれない。
そう言えば昨日、とある道でその近所に住まう父子が遊んでいた。大通りなのだがお父さんは寝癖そのまま泥棒顔を思わせる小汚い無精髭に上下ネズミ色のスウェットという逮捕時の犯人を彷彿とさせるルックで身をさらしていた。
それを見て思ってしまった。(よくそんな格好で表歩けるな・・・)
そしてそんな格好で表を歩いていたのが昔の俺である。
今はダサいながらも多少マシになっているはずだ。少なくともボロ着は着ていない。
おしゃれにはまだ興味がない。
ボロ着を捨て去りようやくプラマイゼロに戻ったという感じだ。
でも自分に自信があるやつがおしゃれをするんだろう。
自分に自身がないやつはおしゃれをしても無駄。馬子にも衣装が関の山だ。
俺はよくこういう発想をする。
自分に自信がないからいい服を着て自信をつけるという発想に俺はいかない。
なぜだろう。
自信がない自分に自信をつけさせてくれる服を着せるという行為はプラマイゼロに持っていくような感じがするのに。
自分に自信があるやつがおしゃれをする。
自信がないやつは無駄。
これはプラスをよりプラスに、マイナスをよりマイナスにというようなプラマイゼロとは逆の発想。
昔から自分の性格を極端だと思うことがある。
1か0かみたいな思考。
しかし、その結果俺はマイナス方向へ極端に舵を切り、辿り着いた先は絶海の孤島。ひきこもり島。こんな感じだった。後悔の航海。
でも外の世界の航海に出たら、中庸が一番楽だと知った。
皆が通る航海ルートはサンプルの宝庫でトラブル対応がし易い。楽。苦しくとも楽。
人生ノーマルモード。
人生イージーモードはおぼっちゃまくんのような境遇。
ハードモードはほぼ詰みかけましたみたいな人生。
イージー人間に限ってハードモードに入り込んでしまうようにこの世の中はできているんだろうか。