最近、作業用BGMに外国人のゲーム実況動画やRTA動画を流している。
英語だから基本意味がわからない。
意味の分かる単語は時々出てくるけど、全部は聞き取れない。文型の仕分けも頭の中でリアルタイムで処理できないから、一つの文章の意味をなす前に頭の中に散らばっていく。英語の聞き取りに集中しでもしないかぎり妨げない。作業を妨害しない。作業用BGMにちょうどいい。
これが日本語だと話は違ってくる。全部聞き取れるし、日本語と英語では文法システムが違うから、日本語システムで生きてきた俺からすると文法も全部OK。ハードルも何もないのだ。日本語覚えて30年以上経つ。喋るのは苦手でも読んだり聴いたりして文章を理解することはできる。一つの文章がちゃんと意味をなして頭の中に散らばらずに点と点が線で繋がれてその意味を理解することができる。
これは別の問題もはらんでいる。結局の所、意味を理解したくなくても理解してしまう。作業用BGMにしようとしても、意味がわかりたくなくてもわかってしまうため、意味を理解しその理解からイメージが発生してしまう(日本語の聞き取りに集中しなくても)。
それが作業を妨害する。集中すべき作業に100%イメージを割けない。
だから日本語で構成されている動画やらテレビを作業用BGMとして採用するのは不適。転じて、周囲にクリアリーな日本語が飛び交う環境も不適。俺の場合。
そういう環境でも集中できる人はすごいと思う。
英語だと、意味が基本点にとどまり線にならないという理由から作業用BGMとして適している。俺の場合。
というか意味がわからないなら何でもいい。
フランス語でもドイツ語でも中豪語でもお経でも。
しかし、英語が作業妨害BGM化するくらいになったらそれはそれでいいのだけど、BGMで流していても一向に理解の向上が進んでいる気がしない。
まぁ作業妨害BGMになってもそしたらフランス語やドイツ語などにシフトすればいいだけのこと。
何も考えないコードの写経の意義のように、何も考えないでお経のように英語音声を流すだけで英語を習得できるかのように謳う某教材の存在意義はあるんだろうか?
やったことないから知らんけど。