(長いです。3000文字以上あります)
有楽町にまず行った。
有楽町のビックカメラでの新しい発見はフォートナイト専用の試遊コーナーができていたことくらいか。
京橋で交通事故現場に遭遇。実況見分とかしていた。傍らには大破したオートバイ。道路の上に卵焼きくらいのまだ乾いてなさそうな血の形があった。
消防車、パトカー、救急車すべていた気がする。
銀座の中央通りは通らず。
アキバは安定のヨドバシ。
最近はうんこちゃんが最近やってるオリンピックのゲームが遊ばれているような気がする。若者勢はサッカーのゲームとか。
次にアキバビック。
アケコンの練習。それなりに馴染んできた。明日には忘れてることだろう。
(アキバ)ビックカメラのエスカレーターの何階かの見上げたところに体育館の天井にひっかかったバレーボールのように商品が入ってるのかゴミが入っているのか判別がつかないビックカメラらしき袋がなんとも言えない隙間に挟まっているシュールな光景を見た。
この時点で午後8時45分。
まもなく営業終了~というアナウンスを初めて聞いた。
アキバの中央通り。
メイド的な人がいたかどうかわからないが、客引きの会話が聞こえてきた。
リフレがどうのこうの言っていた。
なんだろうリフレって。いつぞやのなんとかリップみたいなサービスと同じ感じだろうか。
そういえば藍上さんがリフレ嬢疑惑をかけられている5CHのスレをみてリフレ=風俗的なものという認識を持った。
夜のアキバってそう考えると他の繁華街と大差ないのかもしれない。
ちなみにソフマップも午後8時で閉まっていた。じゃんぱらは多分7時半くらいだろう。
10年前と変わらず基本どこの店も早仕舞いのようだ。
いつもの調子で上野の業務スーパー。21時45分までやっているらしい。
それから上野のヨドバシ。こちらも22時まで営業しているらしい。
ラーメン買ってヨドバシで遊ぶ。
疲れすぎてコントローラ操作がおぼつかない。おまけに指が軽く震えている。
上野にいる時に唯一の友達から両国がすごいことになっているというダイレクトメッセージが。
おそらく帰路を察してのことだろう。
素でどういうことかわからなかったので聞いたら24時間テレビらしい。
上野を後にしいつものように浅草方面。
稲荷町→田原町→浅草と進んでいく。この道ももう30回以上は通っている気がする。
浅草から南下して両国。
国技館前がたしかにいつもと違う。一般人がたむろしている。若い女が多いのでジャニーズの出待ちというのはピンときた。N国の立花氏のMXテレビ出待ち事件もついでに頭に浮かんだ。本当に2週目も来たんだろうか。
クリエイトSDで買い物。
両国→錦糸町→亀戸と進みドンキとビックエーで買い物をして帰宅。
家に着いたときには0時を回って日付が変わっていた。
道中ずっと死について考えていた。
というのも友達が死についてよくぼやくからだ。
今日も京橋の交通事故についてDMを送ったら代わりに俺が死ねば・・・というようなことを言っていた。(深刻ではない)
俺も最近同じような思考になりつつある。
昔は貯金の目減りに怯えていたけど、もうその怯えは開き直りに変わりつつある。
なんなら貯金が尽きたと同時に死ぬのがベスト。
死ねばその後嫌々働かなくて済む。
最近つばとかたんに血が混じっている。
もしかしたら肺がんかも知れない。
以前なら怯えていただろうが、今ではちょうどいいとすら思い始めている。
自殺はしたくないけど、仕方なく死ぬという状況にはなる。病気なら。
闘病中の人にはとても目にしてほしくないこの発言だけど、頑張って生きる気力はもう俺にはない。
ずっとこのまま貯金の許す限り自由に行動して貯金が尽きてサクッと死にたい。
どんな死に方がいいかと考える度に最高だと思うのは決して二度と目覚めることのない全身麻酔だ。
麻酔で意識を失って二度と目覚めないという死に方って最高やん。
それに比べて飛び込みとか飛び降りとか首吊とかどうしても苦しいとか痛いというとこがあるじゃん。
でも麻酔ならそんなことを感じることなくさっさと意識が飛ぶ。
カップルだらけの中不思議と意識はそちらにはいかなかった。自分のことに考えることを集中していた。
とはいえはやり不快である。人が幸せそうにイチャイチャしている姿や楽しそうに会話している姿等を見ると気分が悪くなる。
その笑顔を消してやりたいとは思わないけど、見ていて面白いものでは決してない。
だから今日も無視するように意識した。
でも絵に書いたようなリア充カップルなんかを見ると動悸がする。
でかい声でしゃべっている奴らが俺の後ろを歩いているとイライラする。
でもなんか一人で楽しむのも板についてきた感がある。
以前と違って人からどう思われても一向に構わないから基本的に精神的にはフリーダムだ。
外では自分がやりたいことを基本的にしている。ゲームでは遊ぶし楽器も気が乗れば弾いてみたりする。
疲れたら座るし、音楽を聞けば踊りもする。日差しが強いと感じたら日傘指すし、喋りたかったら独り言を喋りだす。
道を歩けばたまにひとりごちっている爺さんとか婆さんがいる。それを見て俺は特に何も感じない。強いて言えば多少の哀れみを感じる。ただ、ごちっている本人は何も考えていないだろう。同様に俺も別に哀れみの目で見られてもどうということはない。そんなことは関係ないし。
でも、街で(シラフで)独り言を言いながら歩いている人って悲しい過去を持っているんだろう。誰にも相手にされてこなかったとか、ないがしろにされてきたとか、認められたことがないとか。
素直に人から認められたいと感じて、頑張って人から認められるというプロセスを積み重ねないと多分道端で寝てる人(今日も結構いた)みたいになってしまうんだろうとも思った。極論だけど。
俺も人から認められたいという欲求を諦めた「どうせ人間」だけど、行き着くところは無意味なんじゃないかとも思う。逆に言えば人から認められないことをやり続けて何になるというやつ。
この気持ちもまだ払拭できていない。
さらに展開して人から認められないことをなんの疑問も持たずに死ぬまで(好きで)続けられる人間がいたとしたら神だろう。それくらいに羨ましい。
自己承認欲求?そんなんいらねーよとは思いたいけど、まだ疑念を持っている。
結局ひねくれ者は損をして不幸になるということか。それもこれもひねくれてないやつがこの世の構成要素の主成分だからそいつらが普通と呼ばれる。そして俺は親から普通になれと何回も言われた。普通じゃないやつが普通になる?かんたんに言ってくれるぜ。
育った環境が全てな気がしてきた。俺は子供のときにすでにドロップアウトしていたような気がする。
昔は調子に乗ってクラスの中心だった時期も一瞬くらいはあった。
それから裏切りと挫折を稚ながらに経験し、立ち上がれずそれから俺の立ち位置は決まった。多分これは生涯帰ることのできないものだろう。
過去のトラウマというのはそれくらいの破壊力がある。
もう俺はそういうのを克服しようとか、自分を変えるなんて気はさらさらない。
変えようがないのだ。変えようとしたところで素の自分に無理をかけることになるんでどっかでガタが来て散り散りになる。
キャラじゃないキャラを演じるストレスなんかもそれに拍車をかけそうだ。
俺は素でうぇーい系にはなれない。ああいう奴らを見るとやっぱり面白くない。うるさい。うざい。どっかいけ。消えてなくなれ・・・と心の奥底では感じつつも、そんなことは現実にはできやしない、自分からその場をなるべく早く離れようと見る度思う。こういう奴らに限って酔って群れて気がでかくなって道の端から端まで並んで移動して向こうから来る人間に対して道を開けるなんて気遣いする気なんてさらさらない。ああ、やっぱ死ねばいいのにあいつら。
それにしても間違いなく肺がやばい。
風邪が治ったのに咳き込むし、血痰も出る。
肺は悲しみの臓器。俺の人生は悲しい人生なのかもしれない。
以上
長くてすいません。
読んでる人いねーだろこれ。
1年前