・散歩
自宅→日比谷→赤坂見附→オーケー千駄ヶ谷→新宿→曙橋→市ヶ谷→都営新宿線沿い→帰宅
新宿中央公園に来た。
ファミリー中心に埋まっていて飯を食うとこがない。
しかたなくそこらへんで食う。ところが横に臭い若者が座る。
風で彼の臭いがこっちに来て気分が悪くなりその場を離脱。
今まで気づかなかったけどアキバみたいに歩行者天国になっていた。
ビックロとかがあるやたら混む通り。
いつものようにみすぼらしい怪しげな格好で警察官何人かの近くを通り過ぎたけど職質なし。
判定基準がよーわからん。
町の人間を背景として見るようになってからどれくらい経っただろうか。
その進化系なのか話しかけてくる人間すら背景として処理している。
明らかに人としてではなく背景として見ている節がある。
だから背景に何を言われてもこちらは真剣に対応する必要がない
というスタンスになっている。
こないだの職質のときも適当に遊び感覚で試しにタメ口で対応したらどんな感じなんだろうとか思ってそれを実行に移せたのはまともに相手していなかったからだろう。
あなたは私を不快にさせています。
だから私もあなたを不快にさせても文句ないでしょ?って具合に。
だからあまりテンパらなくなった。
今までは何か言われて脳の処理が追いつかないまま焦って返していたけど、今はゆっくりと、なんなら相手がいぶかしげるくらい間を置いたりする。いや単なる呆れか。
何か言われても感情が大きく揺らぐこともあまりなくなった。
あまりというのは今の所というニュアンス。
背景からどう思われようとも別にどうでもいい。
と、自分に敵意を向けてきたり、オブラートには包んでいるけどゴミ扱いしてくるような奴らにはそれができるようになった。
君たちも同じことやっているから俺がやっても文句ないよねという論理。
こちらもできればオブラートに包んでクソ扱い返ししてみたいけどコミュ障なんで無理。
でも好意を向けられたらどうなるか。
そんなことを考えると実にやりづらい気がする。
今は罵声を浴びせられたりするよりも心をかき回される気がする。
多分それは背景として処理することが困難になり、人として捉え出すからなのかもしれない。
想像だけど。
背景として無理やり処理することに違和感やら抵抗やらを感じるんじゃなかろうか。
でもそういう機会がなければ全然問題ないけど。
しかしそうなってもどうせまた逃げるだろうな。
それくらい人間に対する拒絶感が年々増してきている。
・羽生結弦
重そうなガラガラを持っていた。
身長の割にスタイルが異様に良かったので本物かもしれない。
けど羽生さんがビックカメラにいるわけないか。
なんというかビックスターなのに低姿勢な感じがちょっとした動きや仕草から伝わってくる。
彼はいいやつだと思う。
以上
1年前