電車の中でJD二人組の会話。
「誰と誰が実はつきあってるんだって~。」
つきあってる。
また色恋か。
自分の恋はいざ知らず他人の恋の進行状況まで把握して酒の肴にしておしゃべりを楽しんでるということは、恋関連が好きなんだろうな。心底。そして、自分も素敵な彼氏が欲しいと願っている。
いままでJDの会話を盗み聞きしていて、男、女の恋愛、ゼミ、卒論そんな話が大半。
これが「普通」なんだろう。
中央値。多数派。
故に共通の話題として多くの同類とおしゃべり可能。
これが幸せなんだろう。大学生としての一般的な生活態度かもしれんが、俺にとってはそれは大学生として生きる上での幸せだ。
現に苦楽あれど、大学というコミュニティーに所属していることでの幸せというものを享受しているはずだ。
大学生である自分悪くない。
充実してる。
そう思ってることだろう。
たとえ彼氏募集中でも。女友達さえいたら。
俺はこういうのを一切合切放棄してみた。
大学生であることが苦痛でしょうがなかった。
周りとの乖離っぷりが甚だしすぎて。
でも、
ちょっとの「勇気」
ちょっとの「秘密主義を緩める、自分の内面晒し、会話」
これは勇気に含まれるか。
ちょっとの「協調」
あと、「量産型ファッション、ありがちな髪型」
これは協調に含まれるか。
あのときボッチにならなかったらと
ifを考える。
そんなこと考えるくらいなら、その時しかできない時期に「お試し」「実験」という名目でもいいから「多数派ごっこ」をしてみてもよかったんじゃないかと思った。
だってそれが多分一番精神的にも楽な選択肢だから。
それを己の中の「ひねくれ君」だの「言い訳君」が発動したり、「どうせ」根性、「一匹狼癖」で逃げ出してしまった。
それがボッチにとっての楽な選択肢だから。
大学生活をおくる上での楽な選択肢を手繰り寄せるには、ボッチにとって楽でない選択肢を取るほかなかった。
これが俺の敗因。間違いなく今思うと敗因である。
敗北。大学時代苦痛で仕方なかった。幸せじゃなかった。大失敗。
ひとりでもいいから、仲間を作っとくべきだった。
俺レベルの重度の(周囲に攻撃的ですらある)ひねくれボッチの大学生が見ていたら、少しばかり「妥協」してみてほしい。
今の今まで他人との交流を断っている男が何言ってんだと言われても現に未だに「後悔」してるからな。
「妥協」「素直」「他人からどう思われているか必要以上に気にしない」「周りに合わせた服装、髪型」「協調」
未だにこんなことを考えるから尾をひく失敗でもある。
一生、大学生のときの自分を思い返す時にあの暗黒時代を後悔する。
一生モノの失敗。
「友達」「彼女」
それらを作れ。
死ぬ気で。
10年前の俺に言ってやりたいことで