クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

精神が未熟な人がなんか言ってます

 

一週間前のお盆明けの皮膚科で激混みの院内。座っていた青年が、座る椅子のスペースがなく、突っ立っている親子連れに席を譲っていた。


「お母さんどうぞ」


育まれた環境によりこういう人類が誕生するのかと関心した。
まさに、その発想はなかった!だ。
日本とブラジルくらい俺とは正反対の若者。


ただでさえ、院内に存在するだけで迷惑千万な母娘に対してこのような振る舞いができるとは・・・俺は絶対にできない。
かと言って彼を見習おうとは思わなかった。


以前の俺だったら、
自分は自分、他人は他人なのだ。
決して突っ立ってる母娘に席を譲らない。
俺はそういう人間で、違う人間になろうとしたところで、それは無理をしている。背伸びしているに過ぎない。
そんな偽の挟持めいたものは、吹けば飛ぶような上辺だけの偽善だ。

 

「うっせーから来んじゃねー」


俺がどうしようもないかつての図書館の問題児のような社会不適合問題児だったらこんな暴言が下手したら口をついて出たかもしれない。
でも、これが俺。ただ、騒ぎを起こして目立ちたくはないので、先程の精神の技術で耐えるなり回避するなりしてストレスを軽減しようとする。

 

精神的に未熟と言われようが、知ったことではない。
俺は決して譲れない。我が物顔の騒音迷惑母娘は見るだけで不快だし、目と耳の穴を塞ぎたいくらい正直ってうざいです。ごめんなさい。
以前、元気でバカでかい声でくっちゃべってる女性の老人軍団に席を譲ったことがあったが、後悔した。
お前ら元気じゃん。なんか損した気がした。

 

おそらくこういう思考回路になったのは、他人との関係で不幸だからだろう。他人と関わったことであまりいい思いをしないどころか、気に食わないことだらけだった。理不尽な目にもあった。なんで俺だけこんな目に合わニャならんのか。自分の努力ではどうしようもない部分にまで攻め込まれてくると、人間一律に嫌悪感を抱くというようになる。多分俺が弱くて未熟なうじ虫だからだろう。誰か一人くらい例外がいてくれたら、そうはならなかっただろうに。

 

その不幸はあくまで他人との関係だけで、自分だけだったら意外と幸福なんだけど。一人でできる楽しみは人並みに持っている。