最近そう思う。
俺は元来不器用な人間だ。高倉健レベルの。
自分を曲げたくないと頑なに心の柔軟性を失っている。
こじれた頑固者、それが俺の実態だ。
これは逆に言えば、変われない人間ということだ。
変わることが出来ない人間。
しかし、こう考えてみた。
演技をすればいいんではないか。
別に変わる必要がない。
心の中は変わっていないが、外面を変える。
これはおそらく誰しもそうしている面があるだろうが、
俺は不器用なので2つの面(内面、外面)を使い分けることができない。
だから無理。
会社では上司によいしょして、家ではあの耄碌クソジジイが!ぶち○すぞ!
なんていう器用な真似はできない。
これは上司に好かれる自分を演じているということだ。多分。
嫌いになった相手はとことん嫌いになって、会うのも嫌だし、遇っても嫌な顔をする。
顔に出ちゃう。
そんな器用に切り替えられないならば、別人になるのはどうか。
いわゆる憑依タイプの演技をする役者である。
役者の中には自分のなかに役で演じた人間のペルソナが自分の中に居着いてしまって、公演が終わっても取れないことに悩んでいる人もいるそうな。
このように、まるで別人に成り代わったかのように内面と外面を合成する。
幸い、俺は人付き合いがないので、俺を知るものはいない。
だから、変わったねあの人、なんて言われる心配もない。
嫌な奴に嫌なこと言われても笑みを浮かべてやり過ごす。気持ち悪いくらいに。
いつもニコニコしていて、ニコニコしすぎて逆に不気味。
そして心の中でもニコニコしている。
そんな瀬田宗次郎みたいな人物を演じていたら自分を失ってしまうかも知れない。
でも今の自分がゴミなんで失うものなどない、と考えることも可能かもしれない。
でもこれは絵空事。
さぁ演じましょう!と唱えるだけで簡単に別人になれたら誰も苦労はしない。
だから悩んでいるのだ。
でもそんなことする勇気がひとかけらでもあったら俺の人生は大きく異なったものとなっていただろう。
そして今日も明かりに見えないトンネルをぐるぐるさまよい続けるのであった。